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医療機器: 人工心肺装置

被告:医療機関、製造業者     原告:患者

事故概要
心臓手術中に人工心肺装置の送血ポンプに亀裂が生じ、空気が混入した結果、患者が脳梗塞になり、重篤な後遺障害が残った。

原告側主張
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被告側抗弁
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判決の結論
ポンプを操作していた臨床工学技士とポンプを製造販売した業者に過失があったとして、病院と右業者の損害賠償責任が認められた(PL法施行前の納入)。

裁判所
【裁判所】東京高等裁判所

その他
主 文 一 一審原告の本件控訴に基づき、原判決主文一、二項を次のとおり変更する。  (1) 一審被告千葉市と一審被告トノクラは、一審原告に対して、連帯して金一億二六四五万七七六二円及びこれに対する平成七年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。  (2) 一審原告のその余の請求をいずれも棄却する。 二 一審被告トノクラの本件控訴を棄却する。 三(1) 一審原告の一審被告のトノクラに対する控訴費用は一審原告の負担とする。  (2) 一審被告トノクラの控訴の費用は一審被告トノクラの負担とする。  (3) 一審原告と一審被告千葉市との間で生じた訴訟費用は、第一、二審を通じてこれを四分し、その三を一審被告千葉市の負担とし、その余を一審原告の負担とする。 四 この判決の一項(1)の一審被告千葉市に関する部分は、仮に執行することができる。 事実及び理由  第一 当事者の求めた裁判 一 一審原告 (一) 控訴の趣旨 ア 原判決を取り消す。 イ 一審被告らは、一審原告に対して、連帯して一億六三〇九万三一四四円及びこれに対する平成七年七月一二日から支払済みに至るまで年五分の金員を支払え。 ウ 訴訟費用は、第一、二審とも一審被告らの負担とする。 エ 原判決認容部分を超える部分につき、仮執行の宣言。 (二) 一審被告トノクラの控訴の趣旨に対する答弁 ア 一審被告トノクラの本件控訴を棄却する。 イ 一審被告トノクラの控訴についての控訴費用は一審被告トノクラの負担とする。 二 一審被告トノクラ (一) 控訴の趣旨 ア 原判決中、一審被告トノクラの敗訴部分を取り消す。 イ 上記取消しに係る部分の一審原告の本件請求を棄却する。 ウ 訴訟費用は、第一、二審とも一審原告の負担とする。 (二) 一審原告の控訴の趣旨に対する答弁 ア 一審原告の本件控訴を棄却する。 イ 一審原告の本件控訴の控訴費用は、一審原告の負担とする。 三 一審被告千葉市 (一) 一審原告の本件控訴を棄却する。 (二) 一審原告の控訴費用は、一審原告の負担とする。 第二 事案の概要 一 一審原告は、平成七年七月一二日、一審被告千葉市の設置する千葉市立海浜病院一以下「海浜病院」という。一において、心臓に「右室二腔症」があるとの診断により右室流出路の狭窄部拡大のための心臓手術を受け、一審被告トノクラの製造した人工心肺装置中の送血ポンプのチューブの破損により血流中に空気が混入して脳梗塞を発症し、言語障害、右手運動障害等の後遺症を負った。本件は、一審原告が、一審被告千葉市に対しては、前記手術時に人工心肺装置の操作等を行った臨床工学技士の操作の過誤による債務不履行を、一審被告トノクラに対しては、安全な製品の製造を怠ったこと等の過失による不法行為の成立をそれぞれ主張し、一審被告らに一億六三〇九万三一四四円とこれに対する遅延損害金の連帯支払を請求した事案である。  第一審は、人工心肺装置の操作等を行った臨床工学技士の過失を否定したものの、一審被告トノクラの前記人工心肺装置の製造に過失があったと認定して、一審被告トノクラに対して、一億二六四五万七七六二円とこれに対する遅延損害金の支払を命じ、一審被告千葉市に対する請求を棄却した。 二 前提となる事実及び争点  前提となる事実及び争点は、次のとおり補正するほか、原判決「事実及び理由」欄の第二の一及び二のとおりであるから、これをここに引用する。  (一)原判決七頁四行目の「間に」の次に「直径三二分の二二インチ(肉厚三二分の三インチ)の塩化ビニール製の」を、同五行目の「回転ローラーで」の次に「間欠的に圧迫して押しつぶす形で」を、同七行目の「本件ポンプには、」の次に「導入口部分で」をそれぞれ加え、同八行目の「回転ローラーから」を「回転ローラーの外周面にチューブが正対して接触して」に、同一○行目の「上下各四本」を「回転ローラーの前後に上下一対で合計四対」に、同八頁九行目の「棒状」を「円形棒状」に、同九頁五行目の「貯血槽に導かれた血液は」を「血液が導かれる貯血槽は」にそれぞれ改め、同一〇頁一〇行目の「ついには」の次に「長さ約三cmの」を加える。 (二) 同一一頁七行目から一〇行目までを次のとおりに改める。 「1 本件事故発生について、本件ポンプを含む本件人工心肺装置を操作した海浜病院の臨床工学技士に操作上の過誤があり、一審被告千葉市に債務不履行責任が生ずるか。(争点一) 2 本件事故発生について、本件ポンプを製造した一審被告トノクラに製造上の過失、操作する者に対する説明義務又は警告義務の違反があるか。(争点二) 三 当審で争点として整理した当事者の主張 (一) 一審原告の主張 ア 一審被告千葉市の責任  (ア) チューブ亀裂を発生させた責任  本件手術に際し、臨床工学技士の若岡力(以下「若岡技士」という。)及び坂本亮太(以下「坂本技士」という。)が、人工心肺装置の操作を担当したが、若岡技士が本件ポンプに拍動流のためのチューブを設置するに際して、同技士によるチューブホルダーでのチューブ固定の締め付けが不十分であった。また、チューブの長さを考慮せずに、一審原告の脱血を十分に行うことと、輸血用血液を節約することのために、上下に移動可能な構造となっている貯血槽をできるだけ下げて設置した。本件事故は、若岡技士らのチューブホルダーの締め付けが不十分であったことと、チューブの長さを考慮せずに貯血槽を下げすぎてチューブホルダーの外側からチューブを引っ張ったことにより、チューブがポンプ内で浮き上がり、チューブガイドと接触し、これが繰り返されてチューブに亀裂が生じて発生したのである。  若岡技士らは、チューブに亀裂が生じることのないように、チューブがチューブガイドに水平に接触するようにしなければならない注意義務があったのにこれを怠り、チューブホルダーにおける締め付けを十分に行わず、貯血槽を下げ過ぎてポンプ外からチューブを引っ張ったという過失がある。したがって、一審被告千葉市は、本件診療契約につき、債務不履行責任がある。  (イ) 機器に対する監視義務違反  本件人工心肺装置の取扱説明書には、「機器の使用中は、機器全般に・・・・・・異常がないかを絶えず監視すること」という注意書きが記載されている。若岡技士らはこの記載を全く知らなかったようであるが、同人らに機器に対する監視義務違反があることは明らかである。また、若岡技士及び坂本技士の目の前にあるエアー・トラップを同人らが監視していれば、本件事故の早期発見につながったことは明らかであり、若岡技士らにはエアー・トラップ監視に関する義務違反がある。  エアー・トラップがフェール・セーフのための装置であるからといっても、異常事態における自動停止装置ではなく、技士の操作によって事故を防止する装置であるから、当然に事故防止のために若岡技士らにはエアー・トラップに対する監視義務があったというべきである。  送血回路が正常に機能している場合には、エアー・トラップ内には血液が充填されているが、エアー・トラップの上部に空気が貯まれば、患者の体内に空気が入る前に上部のコックをひねって空気を排出することができる。若岡技士と坂本技士は、エアー・トラップに対する監視義務を怠り、このような処置をしなかった。  (ウ) 事故に対する安全対策の不備  もともと人工心肺装置によって、体外循環を行おうとする場合には、ローラー式ポンプの破損、チューブの破損などの事故に備えて、部品、交換用チューブを準備しておくことは、医療機関又は臨床工学技士としで当然の注意義務である。人工心肺装置のポンプの送血チューブに穴があくなどの可能性はどの医学書にも記載されていないからといって、そのような事故に対する安全対策を行う必要がないとは到底いえない。若岡技士と坂本技士ないし海浜病院は、予備用の交換チューブ等を予め準備していなかったが、これは、医療機関又は臨床工学技士としての注意義務に違反する行為である。  (エ) 事故発生後の処置義務違反  本件事故の発生後、若岡技士は、患者に重大な被害が発生することを回避するために、上行大動脈に挿入した送血カニューレを上大動脈に挿入して逆行性の送血を行い、脳動脈内の空気を大動脈に押し出す等の適切な処置をとるべき義務があったのに、これを怠り、患者に重大な被害を発生させた過失がある。  一審被告千葉市は、チューブが破損しているので逆行送血はできない旨主張しているが、若岡技士が、チューブを持ち上げたところ空気の流入が防止できたというのであるから、逆行送血を行うことは可能であった。  また、若岡技士は、実際に大量の空気塞栓があったかどうか確認できない状態で患者の生死を分けるような方法は採れないとも述べているが、これは若岡技士の判断ミスであって、本件ポンプのチューブ取付側に血液が垂れているのが見えるほど血液が漏れていた事実がある以上、すでに大量の空気塞栓が発生したと推断できる状況にあったのであるから、これを回避する措置を採るべきであった。  (オ) 若岡技士らの行為と本件事故との因果関係について  一審被告千葉市は、本件事故は、一瞬にして大量の空気が流入したとしてエアー・トラップの開放は不可能であったというが、本件事故において、急激に大量の空気が流入したという証拠は、一審被告トノクラの作成したビデオテープ以外にはない。この再現実験は、どのように空気が入ったか分かるはずもない一審被告トノクラによって、エアー・トラップへの空気流入の時間を問題にせずに行われたものであり、本件事故が同様であったという証拠ではない。 イ 一審被告トノクラの責任  (ア) 安全性の欠如した機器を製造納入した過失  一審被告トノクラは、本件人工心肺装置においては貯血槽を下げ過ぎることにより、チユーブが本件ポンプ内で浮き上がり、チューブガイドとの接触が繰り返されることにより、チューブに亀裂が生ずるおそれがあったのであるから、貯血槽を下げ過ぎると危険であることを手術担当者(医師、技士)に周知させるか、構造上、貯血槽を一定水準以下に下げることができなくするなどして、チューブがチューブガイドに水平に接触するようにするか、チューブとチューブガイドが接触しても亀裂を生じないチューブを提供する義務があった。一審被告トノクラは、これを怠り、貯血槽を危険領域まで下げられる状態にできる人工心肺装置を製造して、これを海浜病院に供給した過失があった。  (イ) 海浜病院に対する説明ないし警告義務違反  また、本件人工心肺装置は、チューブホルダーにチューブを固定する程度を明確に判断できる機能を有していないし、貯血槽を下げすぎることが危険であるという説明ないし警告もなかった。前述のとおり、本件事故は、若岡技士らのチューブの固定の過誤と貯血槽の下ぎすぎによりチューブが本件ポンプ内で浮き上がったことによるものであるが、一審被告トノクラは、製造者として使用上のこのような危険についての説明ないし警告をすべき注意義務があったのに、これを怠っていた。一審被告トノクラは貯血槽を下げ過ぎるとチューブが破損することは常識であると主張するが、一審被告トノクラでさえ本件事故が発生して初めてそのことを知ったのであるから、常識であるということはできない。  よって、一審被告トノクラは、欠陥ないしチューブ破裂等の危険性のある本件ポンプを製造し、そのような使用上の危険性について十分な説明ないし警告の義務を怠ったままこれを販売したことにより一審原告に損害を与えたのであるから、民法七〇九条により不法行為責任を負う。 ウ 一審原告の損害額  一審原告は、手術前は心臓病以外格別に病変を有していなかったが、本件事故によって生じた空気塞栓によって脳機能障害の重篤な後遺症を残し、両上肢機能全廃及び両下肢機能全廃、咀喉及び言語機能喪失の障害(後遺障害別等級表第一級二に該当)を負った。その損害は次のとおりである。  (ア) 入院慰謝料  一審原告は、平成七年七月一二日より、平成九年八月ころまで二五か月入院を継続しており、この間の苦痛を金銭に評価すると、慰謝料の額は三六三万円を下ることはない。  (イ) 入院中の諸雑費  一審原告は、前記のとおり入院を継続したので、諸雑費として、一日当たり一三〇○円、七五〇日分で合計九七万五〇〇〇円を請求する。  (ウ) 後遺障害による逸失利益  一審原告は、昭和五〇年八月二四日生まれの男子であるところ、本件事故により後遺障害を負い、そのため労働能力の一〇〇%を喪失した。平成七年度賃金センサスの男子労働者学歴計新中卒の平均賃金年収額を基礎にし、ライプニッツ式計算方法により年五分の中間利息を控除すると、一審原告の逸失利益は、次の計算式のとおり八八一四万一六四四円となる。(なお、控訴審において平成一三年度賃釡センサスの男子労働者学歴計により逸失利益を算定すべきものと主張した。) (計算式)  487万5900円×18.077=8814万1644円  (エ)後遺障害による慰謝料  一審原告の本件後遺障害による苦痛と一生続くリハビリ生活など一切の精神的苦痛に対する慰謝料は二六〇〇万円と認めるべきである。  (オ) 将来の介護費  一審原告は、一生涯介護が必要であり、その余命は五八・三一年で、ライプニッツ係数は一八・八二であるから、この間の介護費は、一日五〇〇〇円として、次の計算式のとおり三四三四万六五〇〇円が相当である。 (計算式)  5000円×365日×18.82=343万6500円 (カ)弁護士費用    一〇〇〇万円せ  医療過誤訴訟の困難性は、事案の内容に照らし、一審被告らに負担させるべき損害としての弁護士費用は、一〇〇〇万円が相当である。 (二) 一審被告千葉市の主張 ア 本件ポンプの欠陥について  本件事故は、本件ポンプに構造上の欠陥があったことが原因で発生したもので、若岡技士らは本件ポンプの設置を適切に行っており、千葉市には本件事故の責任はない。  医療機器は患者の生命・身体の安全にかかわるもので、他の工業製品にも増して、その安全性を確保することが要請されているのであるから、製造者はこのような製品を設計する際には、患者が損害を被ることのないよう安全性を確保する高度の注意義務を負っている。  本件ポンプのチューブガイドとチューブは接触することが設計上予定されていたにもかかわらず、チューブガイドの先端部の角は○・五mmで面取り加工した上下一対のものが四対付いていた。また、本件ポンプのチューブホルダーは固定状況の確認が難しいものであった。なお、チューブの長さは一審被告トノクラの担当者に対して使用状況を説明したうえ、特別に注文したものである。  本件ポンプは、次のことから明らかなように、もともと機能上事故につながるような性質を有しており、通常要求される安全性が確保されていない欠陥があったということができる。一審被告はトノクラは、事故を回避するための設計の変更も容易であったにもかかわらず、これを怠ったために、本件事故を発生するに至らしめたものである。  (ア) 一審被告トノクラは、本件事故後に、チューブガイドの数を四対から二対に、一本の長さを二六mmから二七印に、直径を九印から一二印に、先端を○・五mmの面取り加工から二mmのR加工に改良した。また、チューブホルダーについてはより固定効果があがるように、チューブの固定幅を一二mmから二〇mmに変更し、増し締め微調整機能を追加している。 (イ) 本件ポンプと同型機について、平成七年四月、一審被告トノクラの技術者の操作中に本件事故と同様の事故が起きているし、本件事故の直後である平成七年七月一九日にも、海浜病院内において、一審被告トノクラの技術者立会いのもと、本件ポンプと同型の別の送血ポンプを使用して行われた他の患者の手術において、チューブに亀裂の原因となる削れが生じる事故が発生している。  (ウ) 一般的なME機器において「ゴム管」の劣化の危険が指摘された文献があるが(《証拠略》)、これは本件チューブの材質のようなものを指しているものではない。本件チューブは一回ごとの使い捨てであり、このようなチューブに亀裂などを想定することはできず、新品のチューブに亀裂が生ずるということはチューブ自体に欠陥があったといわざるを得ない。一審被告トノクラの説明書や警告ステッカーによってもチューブに亀裂が生じるということを警告していなかった。 イ チューブの固定ないし装置の取り扱い上の過誤についての反論  (ア) 本件手術に際し、若岡技士らが行ったチューブの取付は以下のとおりであった。  a チューブの一方の末端を貯血槽に接続し、本件ポンプのチューブ取付側に立ち、貯血槽からのチューブを本件ポンプの右側のチューブホルダーに通し、チューブホルダーの締め付けボタンを力一杯操作してチューブの貯血槽側を固定した。そして、チューブを引っ張って固定されていることを確認した後、チューブの反対側の末端をチユーブガイドの間に入れてローラーを回転させつつ送り込んで、ローラーの回転外周に巻き付けた。  ポンプ内に余分なたるみが生じないよう調整しつつ、チューブを本件ポンプ左側のチューブホルダーに通し、締め付けボタンを力一杯操作してチューブを固定し、そのことをチューブを引っ張って確認した。この場合、ローラーの位置は必然的に六時と一二時の位置になっている。なお、若岡技士は締め付けボタンを片手で締めたが、これは、右装置の形状が片手で締め付けを行うように設計されていたからである。  b チューブがチューブホルダーの中央に納まっていることを確認した後に、チューブの他方の末端を人工心肺部分に接続した。  医師から患者用の送血回路及び脱血回路の末端が若岡、坂本両技士に渡され、それぞれ本件人工心肺装置の送血回路及び脱血回路に接続し、試運転を行った。試運転は、充填液を回路内に入れて、回路内の脱気を行うために七、八分行い、さらに、人工心肺の温度を上げるために、三ないし五分問の運転を三回程度行った。  試運転の際に、チューブホルダーによるチューブの固定不十分な場合に生じる送血側のチューブの引き込みはなく、その他の異常も特に認めなかった。  (イ) 一審原告は、チユーブホルダーの締め付けの甘さが事故の原因であると主張するが、前記のとおり若岡技士のチューブの固定に過誤はない。若岡技士の証言は信用できる。  仮にそのような事実があったとしても、チューブホルダーの固定状況の確認は、チューブホルダーに目盛りなどがなく、確認が難しいのであって、そのような製品を製造したこと自体が安全性を確保する義務に違反するものである。また、若岡技士は、締め付けが甘いか否かを確認する方法がなかったし、締め付けが甘ければ本件のような事故が生じることを告知されていなかったのであるから、若岡技士には本件事故のような事故が起こることについて予見可能性がなかった。  また、一審原告は貯血槽を下げ過ぎたことが原因であるとも主張するが、貯血槽をできるだけ下げるのは患者から十分な脱血を得るために必要であって、基本的なことである。このように、貯血槽をできるだけ下げることは通常の使用方法であるから、このことを知らずに本件ポンプが設計されたのであれば、一審被告トノクラは製品の安全性を確保する義務に違反したことになる。また、貯血槽をどの位置に止めるべきであったのか明らかでないし、本件事故以前に一審被告トノクラから貯血槽の下げ過ぎについて指摘されたこともない。  なお、チューブの長さは、一審被告トノクラの従業員が海浜病院に来院し、貯血槽を最大限下げることを前提に、実際に計測して長さを決めたものである。 ウ 人工心肺装置の監視義務違反についての反論  (ア) 手術中、若岡技士は人工心肺装置の操作を担当し、送血量、貯血量、温度、酸素流量計及び患者監視モニターの確認を行い、坂本技士は血液検査及び心肺記録を担当しており、装置の監視を行っていた。人工心肺装置の操作は十分な監視のもとに行われることは当然であるが、運転中にポンプ部分でチューブが破搦することまでも想定して操作することはないのであって、そのようなことを想定しながら使用しなければならないような人工心肺装置は手術で使用することはできない。もともと人工心肺装置の送血ポンプのチューブの破損による空気流入は、通常の人工心肺装置の操作において予見できるものではない。一般の医学書によれば、空気混入の可能性は、(1)静脈脱血の急激な減少による貯血槽血液レベルの低下、(2)脱血回路からの多量の空気混入、(3)左心べント挿入部からの空気吸引、(4)左心べントポンプの逆回転、(5)人工心肺(特に気泡型人工心肺)の酸素加の過程で生じる過剰な気泡、(6)回路を血液などで充填するときの空気発生、(7)血液温の急上昇あるいは過度の陰圧による溶解気体の遊離、(8)接続部や採血口の破損あるいは接続部の脱落などが挙げられている。本件事故のようなローラー式ポンプにおけるガイドローラーによるチューブの亀裂及びその亀裂からの空気流入は一般医学書においても予見していないのである。また、前記のような空気流入の各場合の対策は、貯血槽の監視あるいはエアー・トラップの設置であって、送脱血温、血圧モニタリングにより、異常事態の発生及びその原因を知ることができるという臨床上の取扱いがあるのである。若岡技士、坂本技士は貯血槽の監視義務を怠っておらず、送脱血温、血圧モニタリングも行っていた。  (イ) 一審被告トノクラは、本件ポンプ部分で血液が垂れていることを発見したのが医師であったことを捉えて、若岡技士が装置の監視を怠ったと主張するが、若岡技士はチューブへの気体の混入に直面し、一審原告に送血ができるように装置を操作しつつ、貯血槽内の血液の減少や回路の接続部位に異常がないかを確認していたのであって、福地医師が気泡を発見してから坂本技士がチューブの亀裂を発見するまでわずか数分しかなかったことからしても、血液が垂れていることを発見したのが医師であったことをもって若岡技士が装置の監視を怠っていたということはできない。  (ウ) エアー・トラップはチューブが破断してチューブに空気が入るという事態を予想して用いられるものではなく、微小な気泡が混入した場合にこれを除去する装置である。前述のとおり、体外循環における空気混入の可能性として、本件事故のようなポンプのガイドローラーとの接触によるチューブの亀裂は一般医学書においても予見していないのである。前記のような空気流入の対策は、貯血槽の監視あるいはエアー・トラップの設置であって、エアー・トラップの監視まで行うべきものとはされていない。若岡技士、坂本技士が貯血槽の監視義務を怠っていなかったことは争いがなく、送脱血温、血圧モニタリングも行っていたのである。  (エ) 若岡技士は、福地医師の微小気泡の発見を受けて、貯血槽の確認を行ったものの異常を発見せず、エアー・トラップの確認で空気流入を発見したのでこれを開放して対応している。若岡技士の処置に過失はない。 エ 事故発生後の処置義務違反についての反論  (ア) 逆行送血はチューブ自体にはなんらの損傷もない場合で血液量の減少による空気の混入の場合には有効であるが、本件のようなチューブに亀裂が生じたために空気が混入した場合には、空気が混入した血液をさらに送り込むことになるだけであるから、チューブが破損した状況では逆行送血は行うことができない。  (イ) チューブに亀裂が生じていることが明らかな場合、そのまま送血を続けるよりもできるだけ早く人工心肺装置からの離脱を図る選択をするのは当然である。 オ 因果関係について  本件では、仮に若岡技士及び坂本技士が本件人工心肺装置及びエアー・トラップに対する監視義務に違反するところがあったとしても、本件装置では、血液の流れているチューブ内は陰圧状態になっており、チューブの亀裂部分から急激に空気を吸い込むことになるから、本件事故は、最初に急激に発生し、一瞬のうちに大量の空気が患者の体内に送られていることが明らかである。一審被告トノクラの再現実験は本件事故においても同様に生じているのである。このような事故の機序によれば、若岡技士らが機器を常時監視していたとしても、エアー・トラップの開放を行う時間的余裕がないことは明らかであって、本件事故との間に相当因果関係がない。 (三) 一審被告トノクラの主張 ア 本件人工心肺装置の安全性について  本件事故は、本件手術に際し、人工心肺装置の操作を担当した若岡技士が、本件ポンプを誤った方法で設置したか、あるいは不適切な本件ポンプの操作によって発生したものであって、本件ポンプに欠陥はなかったから、一審被告トノクラに安全性の欠如した製品を製造納入した過失はない。  本件人工心肺装置は製造物責任法の適用前に納入されたものであるから、本件事故に製造物責任法の適用はないが、同法上の製造物の「欠陥」の概念は「当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」である。この観点で見ても、本件人工心肺装置には「欠陥」はない。すなわち、本件人工心肺装置の取扱説明書(乙一)には、この機器の取扱いの過誤により患者に取り返しのつかない重篤な障害を発生させる危険性があるものであることから、「熟練した者」以外は機器を使用してはならないことを注意事項として記載している。さらに、製造物責任法の施行に先立って、平成七年六月ころ各病院に営業担当者を派遣して説明し、各機器に「チューブ装着後はチューブホルダーにてチューブを確実に押さえて下さい」という警告ステッカーを貼って、取扱者に警告を発していた。したがって、本件人工心肺装置の通常の使用形態では、「熟練した者」が機器を取り扱い、チューブホルダーにチユーブを設置するに際しては確実な固定がされることが想定されている。このような取扱いによる限り、機器が「通常有すべき安全性を欠いている」とはいえず、本件人工心肺装置に欠陥はない。  本件人工心肺装置のローラーポンプは、一九二〇年代に開発されたものであり、今日に至るまでその基本的な構造に改変はなされておらず、他社のローラーポンプも全て本件ポンプと同じ構造であるのであって、このことは本件ポンプが、安全性及び信頼性の確立した優れた構造であることを示している。本件人工心肺装置は約八〇台が各病院に納入されており、海浜病院においても約二年にわたって約一五〇例もの手術において本件ポンプが安全に運転されていた。これらのことからすれば、本件ポンプには設計上及び製造上の欠陥は存在しないものといえる。  一審原告は、チューブホルダーには目盛り等の基準がなく、固定状況の確認が難しいし、貯血槽を下げ過ぎないような装置にする義務があったと主張するが、チユーブを引っ張る等すれば固定状況は容易に確認することができるし、貯血槽をどの程度下げれば危険になるかは状況によって異なるのであって、一般的に定めることはできない。そのような確認を行うことは操作する者の注意義務に属することがらである。また、一審原告は、チューブガイドを接触しても亀裂が生じないようなチユーブを提供する義務があったとも主張するが、もともと海浜病院が回路全体を構想して一審被告トノクラに回路図案作成の申し入れを行い、一審被告トノクラはこの申入れに応じて仮の回路を作成して病院に引き渡し、病院が試運転をして最終的に回路の内容を決定したのち、一審被告トノクラは病院が決定した回路の内容でチューブを製造してこれを納品したものである。チューブガイドと接触しても亀裂が生じないというチューブは存在しないし、チューブ設計が海浜病院の注文内容に沿ったものであったのであるから、チューブに欠陥があったとはいえない。  以上のとおり、本件ポンプは、安全性の高い構造を有しており、また、海浜病院における過去の使用状況からしても、専門技術者による通常の使用、操作方法に従っている限りはチューブに亀裂の入ることは有り得ない。したがって、一審被告トノクラに製造上の過失はない。 イ 一審被告千葉市の責任について  (ア) チューブの固定ないし装置の取り扱い上の過失  a 一審被告トノクラにおいて、本件事故の後、チューブホルダーの緩み、貯血槽の引き下げという操作ミスがあった場合に、本件類似のチューブの亀裂が発生するか否かを確認するための実験を行ったところ、そのような操作ミスがあった場合には本件類似の事故が発生する可能性があることが明らかになった。本件事故は、若岡技士がチューブの長さを無視して無理に貯血槽を下げたため、チューブが必要以上の力でチューブホルダーの外側で下方斜め方向へ引っ張られる状態になり、これによってチューブホルダーで固定されているチューブの形状が変形して浮き上がりの状態になり、チューブがチューブガイドと接触し、これが繰り返されたことによりチューブに亀裂が生じて起きたものである。人工心肺装置を作動させるに際し、無理に送血ポンプに通したチューブを下方に引っ張るような扱いをすれば危険な事態が発生することは素人でも容易に想像がつくことであり、若岡技士は、臨床工学技士であるのだから、かかる事態の発生を予見し、これを回避することは当然可能であったし、注意義務もあった。  b 若岡技士は、本件手術の際に、脱血をよくするために貯血槽を無理に下げていた。また、日常チューブホルダーを片手で締める取扱いを行っていたことや、本件手術の際にチューブが固定されているかどうかを確認していなかったことからすれば、本件手術の際にチューブが固定されていたことを証明する客観的証拠はない。  c このように、本件事故は、チューブホルダーをしっかり締めなかったという状況と貯血槽の下げ過ぎという異常な使用方法によって発生したのであるから、本件事故の原因は若岡技士の操作ミスであって一審被告トノクラには責任がない。  (イ) 人工心肺装置の監視義務違反  若岡技士が、本件ポンプを含む人工心肺装置の運転状況について適宜監視していれば、チューブとチューブガイドとの接触を発見し、チューブの破断を回避できたはずであるし、破断が生じたとしても、チューブが破断したまま長時間運転を続けるということもなく、一審原告に重大な被害が発生する前に適切な処置がとれたはずであった。また、人工心肺装置が患者の心臓及び血管の働きをする医療機器であって、右機器に問題が発生すれば患者の生命身体に重大な危険を及ぼす可能性のある機器であること、前述のとおり本件人工心肺装置の取扱説明書には「機器全般及び患者に異常のないことを絶えず監視すること」と記載されていること、人工心肺装置の回路部分は透明な構造になっており、特にエアー・トラップは若岡技士及び坂本技士からよく見える位置に存在していて、監視ができる構造になっていたことに照らせば、若岡技士及び坂本技士には人工心肺装置を監視する義務があった。  しかるに、約六〇分後に最初に異常に気づいたのは手術を行っていた医師であり、医師が若岡技士に異常の確認を求めたにもかかわらず若岡技士は異常を発見することができなかったことからすれば、若岡技士が人工心肺装置の監視を怠っていたことは明らかであり、本件事故は若岡技士が監視を行わないまま人工心肺装置を操作し続けた過失により、チューブに破断が発生し一審原告の身体に重大な傷害が発生したものである。  (ウ) 事故に備えての予備交換チューブの備え付け等の義務違反  医療機器による事故は、患者に生命・身体に重篤な障害を負わせるものであるから、万一の事故に備えて、海浜病院又は若岡技士らは本件人工心肺装置の予備の部品、交換用チューブを備えて置くべき注意義務があった。若岡技士らはチューブ亀裂と空気混入を知った後、予備の交換チューブの備え付けがなかったためにチューブ交換ができず、その手術を続行せざるを得ず、その結果一審原告に重篤な障害を負わせてしまった。一審被告千葉市又は若岡技士らに予備チューブ等の交換部品を備えていなかった過失があることは明らかである。  (エ) 事故発生後の処置義務違反  a 本件事故の発生後、若岡技士は、患者に重大な被害が発生することを回避するために、上行大動脈に挿入した送血カニューレを上大動脈に挿入して逆行性の送血を行い、脳動脈内の空気を大動脈に押し出す等の適切な処置をとるべき義務があったのに、これを怠り、患者に重大な被害を発生させた過失がある。   b 一審被告千葉市は、チューブが破損しているので逆行送血はできない旨主張しているが、若岡技士が、チューブを持ち上げたところ空気の流入が防止できたというのであるから、逆行送血を行うことは可能であった。  c また、若岡技士は、実際に大量の空気塞栓があったかどうか確認できない状態で患者の生死を分けるような方法は採れないとも述べているが、これは若岡技士の判断ミスであって、本件ポンプのチューブ取付側に血液が垂れているのが見えるほど血液が漏れていた事実がある以上、すでに大量の空気塞栓が発生したと推断できる状況にあったのであるから、これを回避する措置を採るべきであった。  (オ) 機器の欠陥についての主張に対する反論  a 本件事故後に装置を改造したことについて  一審被告千葉市は、本件事故後、一審被告トノクラがチューブガイド等の改良を行ったことをもって、本件ポンプの欠陥を主張している。しかしながら、医療機器メーカーがより高度の安全性を求めて、機器の改良を行うのは当然のことであり、改良行為と欠陥とは全く関係がない。  b 平成七年七月一九日の手術でチューブに削れが生じたことについて  平成七年七月一九日、一審被告トノクラの従業員立会いのもとで本件ポンプを含む人工心肺装置を使用して手術が行われた際、チューブの一部が白く濁るような状況はみられたが、これは、一審被告千葉市の主張するようにチューブが削れたものではなく、また、亀裂の原因となるものでもなかった。一審被告千葉市が主張するこの類似事故は、単なるチューブホルダーのかけ忘れという人為的ミスに基づく事故であり、本件ポンプの安全性とは関係がない。 ウ 一審原告の損害に対する主張  (ア) 入院中の慰謝料について  一審原告は二五か月間の入院を根拠としているが、この期間中には従前からの心臓病治療に伴う入院期間も含まれており、その期間に対応する入院慰謝料分は控除されるべきである。  (イ) 将来の介護費  一審原告の当面の必要経費は月額三万円であるし、逸失利益の計算において生活費控除がなされていないのであるから、将来の介護費が認められる根拠はない。 第三 当裁判所の判断 一 《証拠略》によれば、本件手術の経緯、手術後の経過等に関して次のとおりの事実が認められる。 (一) 本件手術の経緯 ア 本件手術の術者は福地医師、助手は鶴田医師及び渡辺医師、麻酔医は櫻井医師、人工心肺担当は若岡技士及び坂本技士であった。 イ 手術開始前に若岡技士は、七月一二日午前九時ころ、人工心肺装置を準備し、次のような手順でチユーブを本件ポンプに取り付けた。  (ア) 送血ポンプ用のチューブの一方の末端を貯血槽に接続し、本件ポンプのチユーブ取付口側に立ち、貯血槽に接続したチユーブを本件ポンプの右側のチューブホルダーに通して差し込んだ。このときの貯血槽の高さは、接続部が本件ポンプのポンプヘツド部分とほぼ同じ高さであった。  (イ) 右手親指で、チューブを支えながら、右側チューブホルダーの前面にある締め付けボタンに入差指を掛けて引き、チューブの貯血槽側を固定した。その後、右チューブの他方の末端をローラーを回転させつつチューブガイドの間に送り込んで、ローラーの回転経路外周に巻き付けた。チューブを本件ポンプ左側のチューブホルダーに通して前記末端を本件ポンプの外に出し、左手の人差指で締め付けボタンを引シ、チユーブを固定した。  (ウ) ポンプの外側に出ている二本のチューブを引いたり押したりして、チューブが固定していることを確認した。 ウ 本件ポンプと貯血槽、熱交換器の回路設置が完了後、若岡技士は、福地医師から、送血回路、脱血回路の末端を受け取り、人工心肺回路の送血回路、脱血回路に接続し、充填液を回路に入れて、回路内の脱気のための試運転を七、八分行い、さらに、温度を上げるため、三ないし五分間の運転を三回行った。若岡技士は、充填液を循環後、オクルージョンつまみを回してローラーを適正な位置に設定した。この試運転に際し、チューブがローラーに引き込まれるといった事態が生じることはなかった。 エ 一審原告は、午前九時三〇分から麻酔をかけられ、午前一〇時二五分から、執刀が開始された。午前一一時八分ころ、上行大動脈と上下大静脈にそれぞれカニューレが挿入され、これらと人工肺が接続された。午前一一時二二分ころ、人工心肺装置の運転が開始され、若岡技士は一審原告から十分な脱血が得られるようにするため貯血槽等を徐々に下げ、熱交換器が床から三、四センチメートルの高さになった位置で停止させた。午前一一時二七分ころ、人工心肺装置の流量が二・八七リットル/分/㎡となり、一審原告の心臓を止められる状態になったので、午前一一時二八分ころ、漏斗部を縦切開し異常筋束の切除が開始され、午前一一時四〇分ころ、大動脈を遮断し、ヤング液で心臓停止とし、GIK液による心筋保護が施行された。午前一一時四七分ころ、人工心肺の送血パターンが、それまでの定常流のみの送血から二〇%を定常流、八〇%を拍動流の送血に変更された。午後○時五分ころ、肺動脈弁狭窄症、三尖弁の乳頭筋の損傷がないことを確認した上で、右室切開部の縫合閉鎖を開始した。午後○時一四分ころ、右室の縫合を完了し、大動脈遮断を解除した。送血パターンを定常流のみに戻し、以後定常流で送血が続けられた。午後○時二一分ころ、カウンターショックが施行され、午後○時二三分ころに二度目のカウンターショックが施行されたところ、自己心拍を再開した。心電図からは右環状動脈への空気塞栓は認められなかった。その後、まだ体温が低いため人工心肺による体温上昇と循環補助を行った。 オ 午後○時二五分ころ、左心房、左心室、大動脈内の脱気が行われていたが、福地医師が大動脈の空気抜きの穴から微小な気泡が出てくるのとその量が多いことに気付いた。福地医師は、若岡技士に貯血槽の異常の有無を確認するよう指示し、若岡技士が確認したが貯血槽に異常は確認できなかった。若岡技士は、エアー・トラップ内に空気が貯留していることに気づいたので、エアー・トラップを開放し、一審原告の体内には空気が流入しないようにして送血を続けた。この処置によって、送血量は減少した。若岡技士の処置にもかかわらずエアー・トラップ内への空気の貯留が続いていたが、福地医師が本件ポンプのチューブ取付口側に血液が垂れていることを発見した。坂本技士が本件ポンプのポンプヘッド部分を見てみると、本件ポンプのポンプヘツド部分のプラスチック製の透明カバーに曇りがあることを発見した。午後○時三三分ころ、坂本技士は直ちに本件ポンプのチューブ取付口側に回り、カバーを開けるとチューブガイドの先端部分の角が浮き上がったチューブの上部と接触しながら回転しており、そのためチューブが削りとられるようになり、接触した位置でチユーブが裂け、血液が流出するとともにチューブ内に気泡が入り込んでいるのを発見した。チユーブの裂けた箇所は、取付口側から見て右側のチューブのチューブホルダーから約一〇cmほど奥に進んだ、巻き付けたチューブの中央部に寄った位置にあり、亀裂の長さは、約三cmであった。この間、若岡技士は送血を続けようとしたが、空気の混入が多くなり送血が不可能となったため、送血を停止した。チューブの交換をすれば送血を再開することが可能であったが、本件手術の現場に予備の交換用チューブを用意していなかったため、福地医師らは、チューブを短時間で交換することは不可能であると判断し、人工心肺からの早期離脱を図ることとした。午後○時三五分ころ、福地医師は、右房の閉鎖と人工心肺からの離脱を急いだが、出血量に見合った輸血がなければ血圧を保つことができない状態であった。そこで、若岡技士がチユーブホルダーの外側付近で右側チューブを持ち上げてみたところ、破損部からの血液の漏出は多いが、エアー・トラップへの空気の滞留はみられなくなったため、輸血程度の送血は可能と判断し、送血を再開した。午後○時四一分ころ、右房の縫合を完了した。これにより、右心から肺、肺から左心へと正常の血流が可能になり、人工心肺からの離脱が可能となり、午後○時四六分ころ、人工心肺装置を停止した。午後三時一〇分、一審原告は手術室からICUに移された。 (二) 手術後の経過  一審原告は、手術後ICUで治療を受けていたが、同日午後七時五五分ころ、顔面から全身への痙呈が出現した。一審原告に対し、翌一三日、頭部のCTと脳波検査を施行したところ、CTでは脳梗塞像は不鮮明で、脳浮腫もみられなかったが、脳波検査では脳機能の抑制がみられた。同月一七日に、頭部CT及び脳波検査が施行されたが、CTでは脳浮腫が全体にみられ、多発的脳梗塞の所見も認められ、右前頭葉、左側頭葉に低吸収域が認められた。脳波検査では、広範囲の両側性の機能障害が認められ、脳梗塞と確定診断された。 二 事故原因について (一) 上記認定の経緯からも明らかなとおり、一審原告に重篤な脳機能障害をもたらした本件事故は、本件ポンプ内での拍動送血用のチューブの亀裂とそこから流入した空気が一審原告の脳内へ流入したことによるものであったといえる。また、長さ約三田の前記チューブ亀裂の発生機序が、本件ポンプ内でローラーとともに回転していたチユーブガイドの先端部分の角が浮き上がっていたチューブの上記亀裂部分において接触し、チューブの外壁を削り、ついには約三cmの穿孔をもたらしたというものであったことも容易に推認できる。(このような亀裂発生機序については当事者間に争いがない。)  したがって、問題は、本来チューブの浮き上がり等を防止する機能を有していた上側チューブガイドが、どのような原因でチューブの浮き上がりを防止できずに前記亀裂を発生させたのか、ということになる。 (二) ア この点につき、《証拠略》によれば、一審被告トノクラは、本件事故の原因を究明するため、平成七年八月二八日報告のもの、平成七年九月六日報告のもの及び平成一一年五月八日報告のものと三回にわたって再現実験を行い、その結果、概ね次のとおりであったことが認められる。  (1)チューブホルダーでチユーブを締め付けて固定した場合の通常のラチェット数は九ないし一〇である。  (2)チューブホルダーでチューブを十分に締め付け、チューブがポンプの外で引っ張られていない状態においては、二四〇分間本件ポンプを運転してもチューブに削れないし亀裂は生じない。  (3)ラチェット数を○、八、九、一〇と変え、それぞれの場合においてチューブホルダーの外側で垂れ下がるチューブの角度を水平面から三五度と六五度に変えて本件ポンプを運転すると、ラチェット数○の場合にはいずれの角度でも一〇分ないし一七分で削れが生じ、ラチェット数八では六五度の場合にのみ約一三分で削れが生じ、ラチェット数九及び一〇の場合には、外側チューブの角度がいずれの場合でも削れが生じない。  (4)また、ポンプ外のチユーブの貯血槽への横方向の引っ張りとチューブ削れの関係を調べるための実験をラチェット数を六、九と変えて実施すると、鉛直方向とのチューブの横ずれの角度を○度と設定した場合(チューブがポンプの真下に垂れる場合)は、ラチェット数が六の場合でも九の場合でも通常のこすれが生ずるのみで削れの発生はなかったものの、チューブがポンプ下の鉛直方向から三〇度斜めにずらして設定した場合には、ラチェット数が九であれば、こすれのみで削れの発生はなかったが、ラチェット数が六の場合は、チューブに削れないし亀裂が発生し、そのサンプルチューブのうちには三六分後に亀裂が発生したものと、一〇〇分後に亀裂が生じたものとがあった。 (5)オクルージョンを締めたままで、チューブを緩く締め付けて(ラチェット数六)チューブを引っ張って動くか確認したところ、チューブはあまり動かなかった。  以上の事実によれば、これらの各実験は、どのような状態でチューブの削れの危険性が生ずるかを調べるために、チューブホルダーにおけるチューブ固定の強さの程度とポンプ外側に垂れ下がるチユーブの下方及び横への傾きの程度が、ポンプ内でのチューブの浮き上がりやチューブガイドとの接触にどのように影響するかを調べようとしたものであると認められる。 イ 一審被告千葉市は、一審被告トノクラのこの事故再現実験の結果について、ラチェットが八の場合でもチューブ削れが生ずるという結果が出ているのに、その後の横ずれの程度に関する実験では、ラチェット数が六の場合と九の場合しか実験していないし、チューブの締め付けの甘さがチューブ亀裂の原因というのであれば、どの程度締め付ければ安全かという限界が問題になる筈であるが、この点の限界は一審被告トノクラの実験結果でも明らかではなく、一審被告トノクラのいうような若岡技士が締め忘れた(ラチェット数は○)というのであれば、実験結果によれば、一〇分ないし一七分後には削れが発生する筈であるのに社ラチェット数八でも一三分後には削れが生じる。)、本件事故では人工心肺装置を作動させてから、七〇分経過した後に亀裂が生じているとして、前記実験結果によっても、貯血槽を下げた場合とチューブの亀裂との関係には、必ずしも一定の法則があるとはいえないと主張し、これらの実験の不備と不正確性を指摘し、実験そのものの価値ないし信頼性には疑問があると主張する。  これらの実験結果のみによっては、チューブ固定の程度とチューブの横下方への傾きの程度がチューブ亀裂に対する原因となっているという関係についての正確な法則性を必ずしも導き出せるものではないといえるが、この実験結果によれば、少なくともチューブホルダーの締め付けの程度がラチェット数が九以上であれば、ポンプ外チューブを下方に水平方向から六五度ほど傾けても、また、横下方に三〇度傾けても、概ねポンプ内でのチューブの浮き上がりと削れは発生していない蓋然性が高いと推認され、ラチェット数九のチユーブ固定は、比較的安全性が高いと考えられるが、ラチェット数が八以下であれば、ポンプ外チユーブの下方傾きを水平方向から約六五度以上に設定し、さらにチューブを横方向へ三○度以上傾斜させた場合には、チューブの浮き上がりと削れないし亀裂が発生し得るとの推定をすることができると認められ、その限りでは、この実験結果による推定を覆すに足りる証拠はない。 (三) そうだとすると、本件事故におけるポンプ内のチューブの浮き上がりと亀裂発生は、その部位に照らして、貯血槽に直結する右側チューブホルダーにおけるチューブ固定の不十分さとポンプ外のチューブの下方への顕著な傾き又は斜め下方への傾きに原因があったものと推認するのが相当で1あり、空気混入が人工心肺装置の作動から約六〇分で発見されていることとチューブの亀裂が約三cmの程度にまで至っていることなどの結果事情に照らすと、前記の複数の原因のいずれもが相合して作用していたものと推認するのが合理的である。この推認を覆すに足りる証拠はない。 三 争点一 (一審被告千葉市の責任)について (一) 若岡技士の本件ポンプへのチューブ設定に関する過失 ア 以上に認定した本件事故ないしチューブ亀裂の発生機序に照らせば、本件ポンプで拍動血流を発生させるためのチューブの当初設定において、貯血槽に直結する右側チューブのチューブホルダーおける固定の仕方が完全ではなく、ラチェット数が概ね八以下であったものと推認される。また、《証拠略》によれば、手術時においては脱血を容易にするために貯血槽を下げる必要があり、貯血槽と人工心肺装置との間やその他のチューブ回路の長さは手術時における輸血用血液の量に直接影響することから、一般にその長さを短縮しようとする傾向があり、一審原告に対する本件手術時においても、若岡技士は貯血槽を熱交換機が床の上数師に至るまで下げるとともに、本件ポンプ外の右側チューブを下方に傾け、この右側チューブは、貯血槽に直結していたためにある程度斜め下方に垂れ下がる状態で設定されていたものと推認される。 イ そうすると、若岡技士の本件ポンプへの当初の右側チューブの設定の仕方(チューブホルダーへの固定のための締め付けの緩慢と本件ポンプの外でチューブを顕著に傾斜させたこと)が、前述のチューブ浮き引がりと亀裂の原因になったものと推認することができる。  一審被告千葉市は、若岡技士の本件ポンプへの前記チューブ設定は、堅固なものであったと主張し、証人若岡力も同旨の供述をするとともに同旨の陳述書を提出するが、いずれもチューブ設定の締め付けの程度は主観的な判断によるものであったといわざるを得ず、客観的な裏付けがないことと現実に前記認定のとおりの機序でチューブの浮き上がりが発生したと認められることに照らせば、前記主張と供述等は、にわかに採用することができない。  したがって、若岡技士のこのようなチューブ設定行為は、患者血流への空気流入の危険を招くものであり、臨床工学技士の職務として尽くすべき安全性保持の注意義務に違反するものというべきである。 ウ 一審被告千葉市は、本件ポンプ自体にチューブ締め付けの程度を客観的に認識し得る装置がなかったのであるから、機器の欠陥により事故が惹起したものと考えるべきであるし、これまでの人工心肺装置使用の経験則から、若岡技士においてチューブ亀裂を予見し得る可能性がなかったとして、その過失を否定する主張をする。確かに、前記認定のとおり本件ポンプにおいては、チューブホルダーの締め付けの程度は、視認やチューブ自体の手動による確認のほかはラチェットの音で確認するよりほかはなかったものと認められる。しかし、もともと人工心肺装置は手術時の患者血流を管理するものであるから、その操作を行う臨床工学技士には、患者に生じ得る重篤な被害を防止ないし回避するための操作上の安全性保持義務があるものと解され、その観点からみれば、機器自体にチューブ締め付けを客観的に測定する装置が付されていなかったとしても、事前に機器自体の特性を習熟し、手術時に安全操作を行うことができるよう準備すべきことも前記の操作上の安全性保持義務に含まれると解される。したがって、機器の機能上の性質に限界があるとして、若岡技士に過失ないし過誤がなかったとはいえない。また、これまでに同様な事故が発生していなかったとしても、《証拠略》によれば、人工心肺装置自体、種々のトラブルの要因があるもので、保安点検、整備、作動中の監視が不可欠なものであることが認められ、事故発生の可能性が全くないという機器であるとはいえないのであるから、専門文献上本件事故のようなトラブル例やチューブの亀裂の危険性とその監視の必要性について記述がなかったとしても、少なくとも若岡技士に本件事故のような事故発生の蓋然的予見可能性までもがなかったとはいえない。 エ このようにして、一審原告に被害をもたらした本件ポンプへのチューブ設定に関しては、若岡技士に過失ないし過誤があり、診療契約の履行上の過誤として、一被告千葉市に債務不履斤責任を生じさせるものというべきである。 (二) 若岡技士及び坂本技士の監視義務違反について ア 一審原告は、若岡技士及び坂本技士らの機器に対する監視義務違反をも主張する。  《証拠略》によれば、本件人工心肺装置の取扱説明書には、本件人工心肺装置の操作においては、「機器全般及び患者に異常のないことを絶えず監視すること」という注意書きの記載があることが認められる。証人坂本亮太によれば、坂本技士は、この取扱説明書を読んでいることが認められるから、この取扱説明書の記載を若岡技士も了知していたものと推認するのが相当である。もともと手術時の患者血流を管理する人工心肺装置の操作を行う臨床工学技士には、患者に生じ得る重篤な被害を防止ないし回避するための操作上の安全性保持義務があるものと解される。この安全保持義務は、機器を操作している間の全般にわたって臨床工学技士に課せられるものというべきであるから、本件人工心肺装置の操作中においても、若岡技士と坂本技士には、安全性を点検し確認する監視義務があったというべきである。 イ ところで、前記認定のチューブの亀裂の発生の態様、機序に照らせば、チューブガイドによるチューブの削れないし亀裂の現象は、チューブガイドの先端部分の角にチューブ表面への接触が継続した結果であると推認され、チューブの可塑性にかんがみれば、一瞬のうちに亀裂が発生したものとは考えられない。したがって、当初、ごく微細に亀裂が生じた後、徐々に亀裂が進行していき、最終的には長さ約三cmの亀裂に拡大したものと推認される。その間の時間がどの程度であったかを認めるべき証拠はないが、ある程度の時間の経過があったものと推認するのが相当である。この点について、一審被告千葉市は、《証拠略》の一審被告トノクラが行った再現実験ビデオにおいて、空気流入が一瞬のうちに発生したことをもって、本件事故においても、急激に空気流入が生じたという趣旨の主張をするが、前記再現実験は、事故の経緯を知らない一審被告トノクラにおいて行われたものであり、本件事故のチューブ亀裂の発生とその拡大の経緯を忠実に再現するものであったとは認められないから、一審被告千葉市の上記主張を認めるに足りる証拠はない。そうであるとすれば、若岡技士と坂本技士の機器に対する監視により、亀裂と空気流入の早期の段階で、異常を発見する余地があったと推認される。  前記認定の事実経過と《証拠略》によると、若岡技士と坂本技士は、専ら一般の医学関係文献で指摘している空気流入の原因の発生の場合を想定して、これら想定される原因による空気流入を発見すべく貯血槽と血液温度及び血圧に関する機器の監視のみを行っており、本件ポンプを含む人工心肺装置とその回路及びエアー・トラップの状況に対する監視については、これを十分にしていなかったものと認められる。したがって、若岡技士及び坂本技士においては、前述の本件機器の操作を行うものとしての安全性確保の義務から生ずる機器監視義務に違反していたものと認められ、若岡技士と坂本技士にこの点の過失かあったことは明らかである。 ウ 一審被告千葉市は、一般の医学書及び臨床工学技術書に挙げられる、体外循環機器における空気混入の原因((1)静脈脱血の急激な減少による貯血槽血液レベルの低下、(2)脱血回路からの多量の空気混入、(3)左心べント挿入部からの空気吸引、(4)左心べントポンプの逆回転、(5)気泡型人工心肺で酸素加の過程で生じる過剰な気泡、(6)回路を血液などで充填するときの空気発生、(7)血液温の急上昇あるいは過度の陰圧による溶解気体の遊離、(8)接続部や採血口の破損あるいは接続部の脱落)に照らし、臨床工学技士の機器監視義務は、上記原因の早期発見に有効なもの(例えば、貯血槽と血液温度及び血圧に関する機器の監視一に対して生ずるものであるとして、エアー・トラップについては、これをフェール・セーフのため設置することがより有効であっても、エアー・トラップ自体に対する監視義務まではないと主張する。しかしながら、一般に医療事故は通常考えられる原因によってのみ発生するものとはいえず、前記臨床工学技士の監視義務を一審被告千葉市の主張する原因事項に限定する理由はない。前述のとおりの若岡技士と坂本技士の安全性保持義務の内容は、前述のとおり、本件人工心肺装置の操作全般に及ぶものであり、装置の回路、エアー・トラップに対する監視義務も当然に含むものというべきであるから、若岡技士と坂本技士にはこの監視義務の違反があったものというべきことは前述のとおりである。  また、一審被告千葉市は、本件事故の機序が急激なチューブ亀裂の発生と一瞬のうちに患者体内への空気流入が生じたことから、若岡技士らの監視行為があったとしても、結果を回避することができなかったという主張をするが、前述のとおり、急激なチューブ亀裂の発生を認めるに足りる証拠はなく、むしろチューブ亀裂は徐々に発生拡大していったものと推認されるから、一審被告千葉市の前記主張はにわかに採用できない。 (三) 予備の交換用チューブの備え付けがないことについて ア 《証拠略》によれば、海浜病院においては、本件人工心肺装置のポンプのための予備の交換チューブの備え付けがなかったものと認められ、一審原告は、この点においても、若岡技士ら及び一審被告千葉市に過誤による債務不履行ないし過失があったと主張する。  前記のとおり、人工心肺装置を操作する臨床工学技士には、機器操作に関して、特別の安全性確保の義務があると解されるが、その義務の内容の一つとして、万一事故が発生した場合に備えて被害の発生回避又は患者の重篤化の防止を図るべき義務も含まれているものと解される。したがって、人工心肺装置の操作に当たっては、事故発生の場合に備えて、機器の部品、交換用チューブの備え付け、その他の被害発生回避又は患者の重篤化の防止を図るための措置を予めとっておくべき義務があったとうべきである。 イ 前記認定の事故発生の経緯によれば、空気流入の発見があったのは、人工心肺装置の機能が開始してから約一時間が経過しており、チューブの亀裂も長さ約三師に達した段階であり、亀裂が上記の大きさに成長するまでにはある程度の時間が経過したとすると、その間にはすでに患者体内への空気流入が相当程度あったものと推認される。したがって、この段階で、仮に予備の交換用チューブでチューブ交換を行ったとしても、一審原告に対する被害症状を完全に回避することができたものと推認することはできないが、少なくとも早期のチューブ交換ができていれば、一審原告の被害症状を相当程度軽減できた可能性があったと推認される。  したがって、前記認定のとおり、若岡技士らにおいて交換用チューブの備え付けを怠ったことについては、この限りで一審原告の被害の拡大を防止し得たのに、この防止義務を怠った過失があるというべきである。 (四) 逆行血流の施行義務について  一審原告は、一審原告の体内血流に空気混入を発見した直後に、逆行血流を起こすことで、一審原告の被害の回避を図ることができたと主張する。  しかしながら、《証拠略》によれば、この逆行血流の処置は、高度な医療判断と技術を要する措置であって、その有効性が認められた事例もあるが、その許容時間が短いものであることが認められ、臨床工学技士の判断でできることではないし、当時手術に当たっていた医師が行うべきとしても、その当時の本件人工心肺装置内の血行には、微小な空気混入が広範囲にあった蓋然性が高いと推認され、亀裂のあるチューブをそのまま利用して逆行血流の措置をとること自体危険であり、《証拠略》によれば、新しいチューブの交換には五分以上の時間がかかると見込まれたことが認められるから、結局、逆行血流に必要と推認される空気混入のない血行を確保する手技を直ちにとることが可能であったと認めるに足りる証拠はない。  したがって、若岡技士及び医師らに、一審原告が主張するような逆流血行によって、一審原告の被害症状の拡大を防止すべき過失があったとはいえず、一審原告のこの点の主張は理由がない。 四 争点二(一審被告トノクラの過失)について (一) 安全な機器製造義務違反について ア 前記認定事実と《証拠略》によれば、製造物責任法が施行された平成七年七月一日の直前ころ、一審被告トノクラは、本件人工心肺装置を納入した各病院に営業担当者を派遣し、各機器に「チューブホルダーにて確実にチューブを押さえて下さい。緩んでいるとチューブがローラーに引き込まれバーストやポンプ停止の原因となります」という内容のステッカーを貼ったが、海浜病院に同年六月一四日ころ担当者が訪問し、関係者に事情を説明して納入した人工心肺装置に前記ステッカーを貼付したことが認められ、乙一の本件人工心肺装置の取扱説明書には、熟練者による機器操作が必要である旨の注意書きがあることが認められる。  また、前記認定(引用に係る原判決の「事実及び理由」欄の第二の一の事実)によれば、本件人工心肺装置は、約八〇の病院に納入され、海浜病院においては過去一五〇例の使用歴があるものの、事故発生の事例はなかったことが認められ、《証拠略》によれば、本件事故の直後である平成七年七月一九日にも手術中、ポンプ内においてチューブとチューブガイドとの接触によるチューブ削れが発生したものの、事故には至らなかったという事例があったことが認められる。 イ これらの事実によれば、本件人工心肺装置及びその内の本件ポンプは、基本的には、操作する者の過失ないし過誤がなければ、チューブ亀裂等の事故を起こすことなく多数回の使用に耐え得るものであったと認められる。海浜病院の使用例における同年七月一九日のチューブとチューブガイドの接触事例もチューブ設定を行った者のミスが関与していたものと推認されるから、本件人工心肺装置のポンプ機器は、これを操作する者の取扱い上の過失ないし過誤がなければ、安全に使用することができるものであったと認められる。したがって、本件ポンプ自体は、製造物責任法にいう「当該製造物が通常有すべき安全性を欠いていること」という欠陥があったということはできない。この点についての一審原告の主張は採用することができない。 ウ 一審原告は、本件事故発生後、一審被告トノクラが本件ポンプ及び同型機のすべてについて、本件事故におけるチューブ亀裂の事故の防止のために、上側のチューブガイドの設置場所を四か所から二か所に減らし、原判決別紙(二)のとおり、チューブガイドの長さを二六mmから二七mmに、直径を九mmから一二mmに変更し、先端部分の面取り加工を○・五mmから二・〇mmのR加工に改良する設計変更をしたことは、本件ポンプに安全性の欠如があったことを示すものであると主張する。《証拠略》によれば、本件事故後、一審被告トノクラが上記のとおりの改良のほか、チューブの保持力を高めるためにチューブホルダーの固定幅を一二mmから二〇mmに変更し、増し締め機能も追加した新しい機種を海浜病院に納入していることが認められるが、このことは、本件ポンプ部分になお改良の余地があったこと示すものではあっても、事故時の本件ポンプの十分な点検、整備、利用上の安全監視を行えば、安全に使用できたものであり、その通常有すべき安全性が欠如していたとまではいえない。 (二)説明義務、警告義務違反について ア また、一審原告は、本件人工心肺装置の操作に関する一審被告トノクラの操作者に対する説明義務、警告義務が不十分であったとも主張する。  前記認定のとおり、本件人工心肺装置の取扱説明書においては、熟練者による操作を指示する注意書き及び機器操作中の監視の必要を指示する注意書きがあったと認められ、平成七年六月一四日には、一審被告トノクラの営業担当者による製造物責任法施行に関する事情説明と、「チューブ装着後はチューブホルダーにてチューブを確実に押さえて下さい」という警告ステッカーが本件人工心肺装置に貼付されたものと認められる。  しかしながら、人工心肺装置は手術中の患者の血流を管理し患者の生命身体の安全に直接影響を及ぼす重要な医療機器であり、その操作者には、機器の操作に関して安全性確保の義務があることは前述のとおりであり、このことと平仄を合わせて、このような医療機器の製造者にも、機能の性能のみならず、その安全操作の方法、危険発生の可能性などを十分に試験し、これを操作者に具体的かつ十分に説明し、事故発生の危険性に関しては具体的な警告を発すべき義務があるものと解される。 イ 前記認定と《証拠略》によれば、海浜病院においても、過去に本件ポンプ内のチューブとチューブガイドとの接触があったし、本件事故の直後である平成七年七月一九日にも同様のチューブガイドの接触があったものと認められるから、一審被告トノクラに本件事故のようなチューブ亀裂事故が発生することについて、相当程度予見可能性があったものというべきである。したがって、前述の医療機器の製造者の説明義務及び警告義務の在り方に照らして、本件事故の直前の一審被告トノクラは、前記認定の取扱説明書と警告ステッカーによる説明及び警告のほか、本件ポンプへのチユーブの固定が不十分である場合には、ポンプ内でのチューブの浮き上がりが発生し、チユーブガイドとの接触により、チューブの削れひいてはチューブの亀裂又は穿孔が生じて血流への空気混入の危険がある旨具体的な事故発生の危険性を指摘して警告すべき注意義務があったものと認められる。 ウ 前記認定事実によれば、本件ポンプのチューブの亀裂は、チューブの締め付け固定の不十分、本件ポンプ外のチューブの斜め下方への傾きによって、チューブの浮き上がりを惹起し、チューブガイドとの接触により亀裂を発生させたものであったから、一審被告トノクラが説明書又は警告ステッカーあるいは営業担当者の言動により、これらの事故発生の具体的危険を指摘する説明ないし警告が発せられていれば、若岡技士や坂本技士の前記認定の過誤が防止し得たと考えられる。特に、前記認定のとおり、チューブ亀裂防止のために重要なチューブの締め付け固定の程度を明示するラチェット数(ノッチ数)の表示機能が本件ポンプに備わっていなかったのであるから(そのことが本件ポンプの欠陥であるとまではいえないが)、チューブの固定に関する説明指示ないし警告については、具体的な危険の指摘が必要であったと認められる。  ところが、前記認定のとおり、一審被告トノクラの説明ないし警告は、前記取扱説明書の記載及び前記警告ステッカーによる警告に止まったのであるから、一審被告トノクラには、前述の具体的危険を指摘する説明ないし警告を発すべき注意義務に違反する過失があったというべきである。 エ 以上によれば、一審被告トノクラには、本件機器の操作に関する製造者としての説明ないし警告の義務に違反する過失があったと認められ、一審被告トノクラかこの義務を尽くしていれば、本件事故の発生を防止し得たといい得るから、一審被告トノクラの前記過失と本件事故の発生には相当因果関係かあると認められ、一審被告卜ノクラは、一審原告に対して、不法行為による損害賠償義務を負うものといわなければならない。 五 一審被告らの責任  以上によれば、一審原告に対して、一審被告千葉市は診療契約上の債務不履行と、一審被告トノクラの不法行為との競合によって本件事故が発生したものであるから、それぞれ一審原告に生じた損害につき損害賠償責任を負うが、両者の損害賠償責任は、一方がその賠償金を支払えば、もう一方はその限りで一審原告に対する損害賠償義務を免れる関係にあるから、共同不法行為の場合と同様に不真正な連帯関係にあるものと解するのが相当であり、一審原告に対して連帯して損害賠償金の支払義務があるというべきである。 六 一審原告の損害について (一)入院慰謝料 ア 《証拠略》によると、一審原告は、平成七年七月一二日から平成八年九月まで(約一五か月)、本件事故の後遺症のため海浜病院に入院し、同年一〇月から、千葉リハビリテーションセンター内の重度障害者更生援護施設第二更生園一以下「第二更生園」という一に入所し、集団生活をしていること、海浜病院退院後も海浜病院には数回通院していること、千葉リハビリテーションセンター病院にも年三回程度通院していることを認めることができる。 イ 上記事実によると、一審原告の損害中、入院慰謝料については三〇八万円と認めるのが相当である。 一審被告トノクラは、海浜病院の入院期間には心臓病治療に伴う入院期間も含まれており、その期間に対応する部分は控除されるべきである旨主張するが、本件手術が心臓の手術であることからすれば、心臓手術後の入院期間は必要であると推認されるものの、一審原告の本件手術後の入院が本件事故の後遺症治療のための入院の性質を有していることは否定できず、右心臓手術に必要な入院期間を控除することは相当ではない。 (二) 入院中の諸雑費  上記(一) で認定した入院における諸雑費は、一日当たり一三〇〇円と認めるのが相当である。そうすると、その額は五七万九八〇〇円(一三〇〇円×四四六日)となる。 (三) 後遺障害による逸失利益 ア 《証拠略》によれば、次の事実が認められる。  (ア) 一審原告は、昭和五〇年八月二四日生まれの男子で、高校中退後、電気関係の仕事に二年ほど勤務し、平成六年九月一日から平成七年七月八日まで、株式会杜丙川で週五日勤め、一か月当たり約一三万円の給与を受けていた。  (イ) 一審原告は、本件事故前の平成七年六月三〇日に、右室流出路狭窄症による心臓機能障害により四級の認定を受け、身体障害者手帳の交付を受けていた。  (ウ) 一審原告は、本件事故により、平成八年八月二〇日、海浜病院の医師により、脳梗塞による言語障害と右手運動障害がある旨の診断を受け、平成九年四月七日、千葉家庭裁判所により禁治産者の宣告を受け、乙山松夫が後見人に選任された。また、平成一一年九月一三日、千葉リハビリテーションセンターの医師により、服薬によって痙学発作は押さえられているが、重度の知能障害があり、知能指数は三三、記憶力が著しく低く、見当識障害もあり、簡単な計算はできるものの数概念が未熟であり、労働能力はほとんど期待できず、日常生活状況については、食事は一人でできると診断され、また、用便、入浴は援助があればできる程度とされ、簡単な買い物もできず、刃物や火等の危険や戸外での交通事故等の危険についても判断ができないと診断された。  (エ)一審原告の母は、本件手術以前から、一審原告の父も本件手術後に行方不明となっており、弟がいるものの一審原告の介護ができる生活状況にはない。一審原告は、平成八年一〇月から第二更生園に入所しているが、要する費用は月額三万円、後見人の乙山松夫がその支払をしている。 イ 上記認定事実によれば、一審原告の本件事故による後遺障害は、平成八年一〇月には固定したものと認めるのが相当であり、その後遺症の障害等級(一級一に照らして、一審原告の労働能力喪失率は一〇〇%と認めるのが相当である。  そして、一審原告は、本件事故がなければ、心臓病も治癒し、就労することができ、症状が固定した平成八年一〇月(当時の一審原告の年齢は二一歳一から六七歳に達するまで、平成八年賃金センサス産業計・男子労働者・中卒の全年齢平均年収である五〇一万四三〇〇円程度の収入を得ることができたものと認められる。  この収入を基礎収入として、一審原告は本件事故時には一九歳一一か月であったから、事故時年齢を二〇歳とし、ライプニッツ方式により中間利息を控除すると、逸失利益の額は、次の計算式のとおり八五三八万七〇一〇円となる。 (計算式)501万4300円×(17.9810〈事故時からの就労可能期間のライプニッツ係数〉-0.9523〈事故時から症状固定時までのライプニッツ係数〉)=8538万7010円(1円未満切り捨て)  一審原告は、逸失利益の算定に用いる年収は、最終口頭弁論期日の直近の平成一三年の賃金センサスを用いるべきであると主張するが、本件逸失利益の損害は、一審原告の後遺障害の固定時に発生したものとみなされるべきであり、流動的な最終口頭弁論期日の如何によって逸失利益の額が算定されるのは合理的ではないから、採用できない。 (四)後遺障害による慰謝料  上記(三)ア(ウ)で認定した一審原告の後遺障害の程度、内容等、本件に顕れた諸般の事情を考慮すると、本件事故による後遺障害慰謝料は、二六〇〇万円と認めるのが相当である。 (五)介護費  前記(三)ア(ウ)及び(エ)で認定した事実によれば、一審原告は、現在第二更生園に入所して介護を受けているが、生涯にわたって介護が必要な状態であること、第二更生園に支払う費用は介護費を含め月額合計三万円であることが認められ、これらの事実によれば、一審原告が、将来、第二更生園又はそれに準じた介護施設以外の場所で自立して生活することが当面予定されていないことが認められる。  そうすると、一審被告の将来における介護費については、現在の実額であると認められる第二更生園の費用である月額三万円を基礎とするのが相当であり、本件事故時二〇歳、症状固定時二一歳、平均寿命七七歳として計算とすると、その額は次の計算式のとおり六四一万○九五二円となる。  (計算式)3万円×12月×(18.7605-0.9523)=641万0952円  なお、一審被告トノクラは、逸失利益の計算において生活費控除がなされていないことから将来の介護費を損害として認める必要はない旨主張するが、生活費は生存している限り不可欠のものであり、介護費は通常の生活費とは別に生じる生活上の特別の支出による損害であるから、一審被告トノクラの上記主張は採用することはできない。 (六) 弁護士費用  本件事案の内容、認容額(上記(一)ないし(五)の合計額は一億二一四五万七七六二円)、その他、本件訴訟の経緯、現実の弁護士支払までの中問利息の控除等の事情を考慮すると、本件事故と因果関係のある損害と認めることのできる弁護士費用は五〇〇万円と認めるのが相当である。 (七) 以上によれば、一審原告の損害額の合計は、一億二六四五万七七六二円であると認められ、本件事故日である平成七年七月一二日に遅滞に陥ったものと認めるのが相当である。 七 結論  以上によれば、被控訴人の本件請求は、一審被告千葉市と一審被告トノクラに対して、連帯して一億二六四五万七七六二円とこれに対する平成七年七月一二日から支払済みに至るまで民事法定利率年五分の金員の連帯支払を求める限度で理由があるから、原判決中、一審被告トノクラに対する請求を上記の限度で認容した部分は正当であり、一審原告千葉市に対する請求を全部棄却した部分は上記の限度で失当である。  よって、一審原告の本件控訴に基づき、原判決を上記のとおり変更することとし、一審被告トノクラの本件控訴は理由がないから棄却することとして、主文のとおり判決する。

判決年:2002     国:日本


掲載日

調査年 2007年


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