黒澤 博身 先生 東京女子医科大学病院 心臓血管外科 主任教授 心臓血管外科
1.ご専門の分野について 専門は心臓血管外科である。大動脈基部手術にはRoss手術 (英)、David手術 (加)Bentall手術 (英)、Manouguian手術 、Konno手術 (日)の5種類がある。これら5種類の手技をすべて行っている。 実施頻度の高い手技は心臓手術である。主に小児高難易度手術、成人の高難易度手術を担当している。なかでも大動脈外科医の到達目標である大動脈基部手術(大動脈左心室の手術)を施行している。東京女子医科大学病院における年間実施件数は600例程度である。 2.ご専門分野に関わる既存の医療機器について ■この10年で、診療成績の向上や患者QOLの向上におおいに貢献したと考えられる医療機器 (1)治療 ① 再生血管 静脈系の再生血管は大いに進歩した。手術時間の短縮、術後の抗血小板薬からの開放、再手術の必要性の減少など、患者のQOLが大いに向上した。 手技としては、患者の腸骨から骨髄細胞を採取し、特殊な人工血管の表面上に骨髄細胞を培養し、血管再建手術を行う。骨髄細胞の培養にかかる時間は約2時間である。手術は3時間で完了する。術後3~6ヶ月で人工血管は消失し、再生された血管だけが残る。再生血管は、身体の成長にあわせて成長するため、特に小児の再手術が不要になる。 以前は骨髄細胞でなく内皮細胞を用いたが培養に6ヶ月かかった。 東京女子医科大学では、これまでに50人の患者に再生血管による治療を行った。多くの症例でワーファリンの服用が不要になった。これは革命的なことである。 再生血管では患者のQOLについて3つの目標の達成を目指している。第1に、幼稚園・小学校低学年で薬を一切飲むことなく周りの子どもと同じように遊べることである。第2に、中学校で部活動に参加できることである(運動部や吹奏楽は心臓に負担がかるため難しい)。第3に、女性の患者の場合に妊娠・出産できることである。 ② 心筋シート 心筋の再生医療も進歩した。特に大阪大学で研究開発している心筋シートは治療成績がよく、期待されている。 ③ 人工心臓 人工心臓は大いに進歩した。まだ臨床試験の段階だが、東京女子医科大学の開発した体内埋め込み型の補助人工心臓「エバハート」では、就労に復帰した患者もいる。これまで、人工心臓を使用する患者が就労する姿を見たことがなかった。 「エバハート」は無拍動型であり静音性にも優れる。患者も音に気づかない。外付の人工心臓は「パカッパカッ」という機械音が聞こえ続ける。 ④ 人工肺 補助循環に用いる人工肺も進歩した。人工肺は人工物の中に血液を流すという点で人工心臓と同じ問題を抱えているため、人工肺は人工心臓とセットで発展してきた。 ⑤ 冠動脈ステント ステントは近年大きく進歩した。 (2)診断機器 治療以外の医療機器としては、ITの進歩に伴って、エコー、CT、MRIなど診断機器の性能が改良され、診断精度が上がった。画像処理能力が高まったことで、PCの画面上に臓器ごとに色分けされた3次元画像が短時間で表示されるようになった。 3次元CTはほぼ毎日行っている。カテーテル検査室での心血管造影は激減している。 診断には「機能診断」と「形態診断」とがある。3次元CTは形態を診断する。エコーは機能と形態を診断する。カテーテル検査は形態と機能を診断するが、カテーテル検査の形態診断はほぼすべてCTやMRIで置き換えられる。カテーテル検査による圧測定は、今のところ置き換えられない。 ■既存の医療機器の改良すべき点について 心臓血管外科の目標は、「いい心機能」と「メディケーションフリー」である。メディケーションフリーを妨げている機器はすべて改良が必要である。メディケーションフリーとは、再手術、再検査、服薬、再発の不安など、医療から患者を開放することである。メディケーションフリーに貢献する機器であればあるほど人生に対して低侵襲であるといえる。 (1)人工心臓 心臓病の治療の最終目標は、心機能の回復とメディケーションフリーによるQOLの向上である。人工心臓は、今後10~20年の目標として再生医療とのハイブリッド型の戦略をたて、よりメディケーションフリーな医療を実現していくことが重要である。 (2)治療以外の医療機器 診断機器の性能の向上により診断に要する時間が短縮されたが、これ以上の時間短縮にはマンパワーの限界がある。たとえば、放射線技師の代わりに患者を誘導して撮影準備をするロボットが開発されれば、被爆を避けるために出入する時間がなくなる分だけ、診断効率を高められる可能性がある。 3.実現が望まれる新規の医療機器について (1)心臓基部手術のための機器 心臓基部手術のための機器の開発が望まれる。最も期待されるのは患者自身の細胞でできた人工弁である。ROSS手術を考えてみると、肺動脈弁に使える弁ができればホモグラフトが不要になる。大動脈弁に使える弁ができればROSS手術が不要になる。 (2)生体吸収型ステント 形状を正常に維持し、かつ血管内に吸収されるステントの開発が望まれている。 (3)人工心臓 電力供給ケーブルも体から外側へ出ないような完全埋め込み型人工心臓が求められている。外部から経皮的にエネルギーを長期間安定して供給する方法の開発が課題である。原子力エネルギーを用いる案もあるが、体内に埋め込めるような小型原子炉の開発の問題がある。 (4)細血管の再生 細血管の再生医療が期待される。細血管は、強度と血栓形成のパラドックスという課題を抱えている。肉厚にするほど強度は高まるが機能が低下する。 (5)心筋再生 心筋症や虚血性心疾患末期の患者の心筋に対する再生医療が期待される。心筋シートは機能の恒常性が課題である。恒常性を検証するためには、3年程度の長期の経過観察が必要になる。 (6)大動脈弁と僧房弁の再生 心臓で最も圧力のかかる部位である、大動脈弁と僧房弁の再生医療が期待される。 (7)人工弁 人工弁は機械弁の場合、「カチッカチッ」という機械音が気になって寝つけない患者がいる。現在は「機械音が聞こえることは正常に動作している証である」と説明しているが、機械音のない自然組織による弁が必要である。 (8)外部から非侵襲的に血管内圧を測定できる装置 外部から非侵襲的に血管内圧を測定できる装置の開発が求められる。現在、血管内圧はカテーテル検査で測定しているが、より侵襲の少ない測定方法が必要である。火星表面の圧を光学的に測定する技術が開発されているのだから、こうした技術を応用すれば実現できるのではないか。 4.その他、医療機器の研究動向や今後の医療機器開発の方向性に対するご提言について (1)低侵襲医療機器の存在意義と位置づけ 低侵襲医療の存在意義や位置づけを知る必要がある。最上位にあるのは、患者の社会的自立によるQOLの向上である。そのために低侵襲医療があり、そのために低侵襲医療機器がある。低侵襲医療の効果を最大限に発揮させるためには、医療提供者側の人的な革新が必要である。また、患者側の理解も必要である。 医療は、最終的にはメディケーションフリーを目指すべきである。メディケーションフリーとは入院や外来通院はもちろん継続的な検査や服薬、再手術の不安など、身体的にも精神的にも患者を医療から解放することである。 低侵襲医療は、身体に対してだけでなく、人生そのものに対して低侵襲であるべきである。その意味で、低侵襲医療の代表は再生医療である。 (2)自然組織外科 医療機器の対極にある概念として「自然組織外科」がある。自然組織外科は、身体に最も優しい医療として自然組織を用いた医療を目指す外科治療である。 患者の人生への貢献の度合いを考えると、①自己組織(再生医療)、②同種組織(移植)、③異種組織(動物)、④機械組織(機械)の順である。 (3)世代を超えて継続される研究体制の構築 人生には限りがあるということを理解して、研究が次の世代に継続されるよう研究体制を構築することはきわめて重要である。自分の研究が自分の代で完結すれば幸せだが、多くの場合、自分の代で研究を終わらせることはできない。バトンタッチをする期間が数年間必要である。 (4)医療機器にかかわる主体の自己責任の意識の醸成 医療機器を進歩させるうえで、国、大学、企業、医療現場、患者がそれぞれ、作る側、使う側、使われる側としての自己責任を意識する必要があるだろう。 医療機器の開発に関わる全ての関係主体が、患者のQOLの向上という明確な目的意識をもって取り組むことが重要である。患者のQOLとしては、労働を担える水準での社会的自立を目指すことが重要である。 (5)国民のために保険診療の解釈を変えていく方向性の必要性 医療機器の進歩を促進するためには、医療機器の開発と実践について、国民のために保険診療の解釈を変えていく方向性が必要である。現在の保険診療では、本当に必要な医療機器を円滑に使えない。 (6)開発リスクに対する企業の意識 現在の日本の医療機器開発の問題点は、企業が命に関わる機器の開発に躊躇し、協力が得るのが難しいことである。 (7)患者に貢献していることを技術者が実感できる体制 医療機器の進歩を後押しするためには、機器を作ることが患者に貢献しているということを技術者が実感できるような体制作りが必要だろう。 (8)手技と医療機器の協調 医療機器の性能を生かすためにはソフト(手技)とハード(医療機器)のコンビネーションが重要である。今後は機械の性能だけに焦点をあてた開発から、機器がどのように医療現場で使われるかに焦点をあてた開発へ移行していかなければならない。そのような体制を作るために患者と直に接する医療者と政治が動かなければならない。 (9)心臓外科医に求められる技能 日本の若い心臓外科医に求められるスタンダードな技能として、大動脈基部手術の修得があげられる。 こうした高難度な手技を習得するためには、十分な準備(勉強)と、施行に踏み切る勇気(過剰な自信ではなく)である。日本で外科医が育たない原因には、未経験の手技、難しい手技に挑戦する勇気がないことも関係している。
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